人に興味をもつ方法

NEWSからの愛と 上田竜也への愛と

ジャニーズと共に生きた平成

平成最後の…ってのが今年の流行語になるんじゃないかってくらい、いろんなとこで使われてたけど。

そんな私の平成最後のブログ。
何を書こうかなって思ったわけです。
この溢れんばかりの愛を延々と綴ろうかと思ったわけです。

でも待てよ、と。時代が平成だろうが令和だろうが何だろうが、私はきっと愛を気持ち悪いくらいに綴ると思って、急遽変更。

私がジャニーズと過ごした平成を振り返ろうと思う。
自伝かと思うよね。
うん。たぶんそうだと思う。

でも、「年齢早見表」を使わなきゃ自分が当時何歳だったのかが数えられなくなって、もうなんか、時代って残酷。

 

平成元年~平成10年
『ジャニーズとの出会い』

私が初めてジャニーズのアイドルをカッコいいと思ったのが平成6年。小学生。TOKIOのデビュー時。「LOVE YOU ONLY」のジャケ写の松岡くんに一目惚れしたのが一番最初。
そこから事務所のいろんなグループを見てて、このグループだったら〇〇くん、こっちだったら一番は〇〇くん。なーんてクラスの女子で話してた。

それまでは「りぼん」と「ピチレモン」が愛読書だったのに、アイドル誌にシフトしてお小遣いじゃどうしようもなくなった。
毎月買ってくれたおじいちゃん。私は今でも生粋のジャニヲタとして生きています。きっとおじいちゃんのおかげです。

そして平成8年。
ジャニーズだからと、なんとなーく観ていた「愛ラブSMAP!」という番組が終わって「愛LOVEジュニア」という番組が始まった。
この番組に出会うことで、私の青春時代が幕を開ける。
所謂、Jr.黄金期というやつ。
ジャニーズJr.にどっぷりハマり、ほぼほぼ全員の名前が言えた。Jr.名鑑は持ち歩いてた。休日は、ジャニーズショップに並んでた。VHSの編集に命かけてた。
マジ青春。
8時だJ」が私のバイブル。

 

平成10年~平成15年
『ジャニーズとの別れ』

平成11年、嵐がデビューを果たした。そして平成14年。
今まで黄金期を支えてきたタッキーがJr.を離れた。
不思議なことに、それと同時に私の中でJr.熱が急激に冷めてしまった。たぶん、私が夢中になっていたジャニーズJr.は、タッキーがいて翼くんがいて小原くんがいて嵐がいてすばるくんがいるジャニーズJr.だったんだと思う。

私の就職と同時に、ジャニーズへの執着も薄れていった。ただのお茶の間民としてゆるく楽しんでいた時期。

 

平成16年~平成20年
『新たなる出会い』

平成18年。突然NEWSが気になりだす。
私の青春時代、タッキーの寵愛を一心に受けていて、生意気な美少年だった山Pがいるグループというだけの印象だったのに。
「You&J」に入ろうかどうしようか、2年悩んで結局入らなかった。ジャニーズのコンサートに行くより、現実の恋愛に忙しかった時期。ごめんよ、NEWS。

 

平成21年~平成25年
『初めての自担と秩父宮

平成21年。当時赤西担だった友人がKAT-TUNのアルバム「Break the Records-by you&for you-」を貸してくれた。というか、無理やり聞かされて感想文を求められた。
もちろんKAT-TUNの社会現象ぶりは知っていたけど、私の好みじゃないって思ってた。爽やかで誠実な男性が好きな時期ね。

ところがどっこい(昭和)。
そのアルバムを聞いて、中丸くんの「WHITE WORLD」にハマる。私が中丸ソロ曲大好き芸人になった時代。そしてなぜか、上田くんに落ちた。
今でもなんでそうなったかわからないし、記憶ないし、自分でもどうしたのかと思う。中丸くんのソロ曲にハマってそのシンメに落ちるって何。え。ロバ丸のせい?

でも、私に初めて「自担」が誕生した記念すべき年。

平成23年。あのとき、素通りしそうになったNEWSがピンチを迎えていた。それまでもCDとか買っていたし、他人事とは思えなくて、4人の力になりたいって本気で思った。
でも、何もできなくて、ただただ不安な日々を過ごしていた。けれど、その翌年の平成24年、NEWSが完全復活を遂げた。本当に嬉しくて、当時私生活がものすごく忙しかったのに、全てを放り出して秩父宮に駆けつけたっけ。←よい子はマネしないでね。

 

平成26年~平成30年
『ジャニーズのために働く私』

何のために働いているんですか?
そう聞かれたら、きっと迷わず「NEWSと上田くんに会うためです」って全力で答えていた時期。いや、今もか。
この5年間、私の好きな人たちは順風満帆とは言えない日々を過ごしてきた。
それでも、NEWSにはたくさんの幸せをもらったし、とても楽しい時間だった。「White」に行って「QUARTETTO」に行って24時間TVでたくさんの愛をみせてもらって「NEVERLAND」に行って「EPCOTIA」に行って。
毎年会えることが、本当に嬉しかった。

KAT-TUNの充電期間はこれでもかってくらい凹んだ。KAT-TUNが無くなってしまったらどうしよう。ふとそんなことを考えてしまう、そんな不安な日々を過ごした。
それでも、約束通り戻ってきてくれて、みんなで笑顔で再始動をお祝いできた。「UNION」のオープニングはきっと一生忘れない。上田くんを好きでよかったって、改めて思った。

 

平成31年
『新たな沼の出現』

年が明けて、私はSnow Manの深澤くんの沼に落ちた。
Jr.を好きになるってこんなにも毎日忙しいんだって感じてる。嬉しい悲鳴。平成31年の間に「単独コンサート」「少年たち」「滝沢歌舞伎ZERO」の三つの現場で自担に会えるって、こんなに幸せなことある?4か月間だよ?デビュー組ではなかなか味わえない忙しさ。
もうただただ幸せ。私、これからも頑張って働く。

私の青春時代から23年余り。
儚い美少年だった彼が、社長となり、今のJr.を育てていると思うと本当に感慨深い。そして、その社長の下で頑張っている人を好きになったって、その事実がもう尊い
これだからジャニヲタはやめられない。

 

令和元年
『ジャニヲタ歴25年目』

ジャニーズに出会って25年。
これからもずっとずっと私はジャニーズが好きなんだろうな。

 


令和になっても、私の大好きな人たちが幸せでありますように!